ユーザーの声がいつも正しいとは限らない

中島聡氏のBlog(中島聡・ネット時代のデジタルライフスタイル)のユーザー指向のもの作りに関する一考察というエントリに、「The Ten Faces of Innovation」という本(紹介記事)の記述が引用されている。すごく共感できるのでメモしておく。

そこには、自動車産業の父、Henry Fordの言葉「もし私がカスタマーに何が欲しいかと尋ねたら、彼らは『もっと早い馬が欲しい』と言っていたでしょう」が引用してあり、「カスタマー(顧客)の声を聞くことは大切だが、彼らに『何が欲しいか』を聞いても必ずしも答えは出て来ない。それよりも彼らの行動を良く観察し、どんなところで苦労しているか、彼らなりにどんな工夫をして今あるものを使いこなしているかを理解した上で、何を作るべきかを考えるべきだ」と結論付けている。

いつもお客さんと話をしていて感じるのは、彼ら自身も自分達が必要とするものを正しく表現できないことが多いということ。既存の業務であっても全体像が見えていなかったり、あいまいであったり、または表現力に問題があったりとその理由はさまざま。さらに、新規業務/新規サービスの場合にはだれにも分からないことも多い。

こういう局面では「何が欲しいのか」という直接的な問いかけは無力だ。

中島氏が

「ユーザーの声を聞く」ことはものすごく大切であるが、ユーザーが欲しいと主張しているからと言って、彼らの言うとおりにただひたすらに、高機能なゲームマシンや、絵がきれいな大画面テレビを作ることは、まさにHenry Fordの言う「もっと早く走る馬」を作ってしまうことに相当するのではないのか良く考えてみるべきだ。

と書いているが、全く同じ意味のことを2年目のころ、当時の上司に言われたのを思い出す。

身近なところに目を向けると、松下電器はユーザが「欲しいもの」をパッケージ化するのが非常にうまくなってきていると思う。逆に、ユーザが「予想もしないもの」を提示できているのは、身近にはApple任天堂、そしてGoogle。ん、以前にも同じようなことを書いたことがあるな。これだ


今回のフォード氏の話や、中島氏の話とはちょっと観点が違うけど、以前のエントリで紹介した「欲望のエデュケーション」ってやっぱり大切だと思う。前者は、ユーザの声の先にあるものを提示するアプローチ、後者はユーザの声をより洗練するためのアプローチ。これについてはまた考えてみたい。

畑の土壌を調べ、生成しやすい品種を改良して植えるのではなく、すばらしい収穫物を得られる畑になるように「土壌」を肥やしていくことがマーケティングのもうひとつの方法であろう。「欲望のエデュケーション」とはそういうことである。

デザインのデザイン
原 研哉
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